2017年10月6日

名月の森



 仲秋の名月に、人はどうしてこうも惹かれるのか。毎年その宵だけは特別な過ごし方をしたくなる。北陸の秋、滅多に見られない十五夜が顔を出すならと、二年ぶりのチブリ尾根へ。名月の森を歩くことにした。

 とは言いつつも、深夜の誰もいない山奥をとぼとぼ歩く己れの姿を想像するだけで、実は今でも単純に怖さが蘇る。ところが実際に歩いて、ヘッドランプの灯を落とし、辺りを見渡し、森閑たる闇に包まれてみると、実に不思議なことに、これを安らぎというのではないか、とも思える感覚に浸っていた。むしろカサコソと落ち葉を踏みながら歩いているその時間に、恐怖感にも似たいささか落ち着かない気分に包まれた。だからだろうか、キョロキョロして気を紛らわせ、まるで見つけられるのを待っていたかのような場に出くわすと、ほっと一息、胸を撫で下ろすことになる。三脚を立て、静止する長時間露光の間、日常を離れた、どこか遠い、ちがう世界に立っていることを、どうやら喜びとして感じていた。

 歩くことに始まる動作、行動の類は、動物が生きるためには不可欠な要素だろうが、動くことが生きること、というわけでは決してない。寂として佇むことができる人間には、野生が獲物を見据え構える姿勢とは随分ちがう、高度な精神性が宿っている。生きることとそれは、かなり重要な繋がりを持ち、生きることの支えにもなり、加えて死にさえも何らかの力を発揮するのではと思える。

 昨晩、病床に伏せっていた旧友がこの世に別れを告げた。久しぶりにこのブログを書く気になったのも、そのせいだろう。

 末期の食道癌と診断され、抗癌剤治療のために入院している間、三度見舞った。久しぶりに顔を合わせるや、「お前の方こそそんなに痩せて大丈夫か」と却って気にかけてくれ、「何だか治るような気がするよ」とまで言って爽やかに笑っていた。二度目の折は、抗癌剤が体を傷つけているのだとかで、打って変わって元気がなく、試食用に持参した酵素玄米を手渡し早々に引き上げた。三度目は、ほんの数日前のこと。ぐったりとして、息苦しそうで、何度も痰を取り、なのに自分を元気づけようとでもするように、あいつらしく冗談もこぼして、これからはもっと頻繁に見舞ってやろうと思い直した矢先だった。

 無声音でしかも含み声だから、この頃遠くなった耳には聞き取れなくて、ろくに会話にならず、それではと足を揉んでやった。気持ちいいのかどうでもいいのか、表情を変えることもなく、それでも、こっちも揉んでくれとばかり足の位置を変えたり、半ば眠るようにして。「お前どこでそんな技、覚えたんだよ」。「足揉みのことか。昔からだよ、家族の足揉み」。今思えば静かで、いい時間だった。

 友が差し出す手を、そうするしかなくて自然に握った。「よくわからんけど、男の手でもいいから握っていたくて」。そうか、悪かったかな、と答えて、ひととき黙ったままで固く結び合った。力を入れたり抜いたり、震えたり、無意識にそうしていたような、それとも、生者には分からない、死を前にして感じているものがあり、静寂に包まれた個室で友は手からそれを伝えようとしていたのか。でもそれは、友のように、何だかよく分からんものなのかもしれない。

 不安、不気味、恐怖などというものは、なるべくなら遠ざけていたい感覚だろうが、それらを超えてでも覗いてみたい世界も確かにある。日常という現場に埋もれるのではなく、たとえ日常であっても、己れの内なる深みを旅するようなひととき、あるいは揺れる心の動きや言葉をつぶさに感じ取る意識。それらがどんなに醜いものでも、吐きそうなほど忌み嫌うものでも、否、だからこそ深い水底へと誘うとば口を持っていそうな、そんな世界が、日常に隣るものとして常に横たわっている。

 友は最後には癌患者だったが、それが自分の全てではないとも言った。あいつは多分、大勢の友が集って笑った店で、もちろん病院ででも、静かに一人旅をしていたにちがいない。これからもきっとしばらく続けるんだろう。

 懐かしい。あいつとは何度も海外を旅した。当時頻繁にあったタウン誌の取材でのことで、何をしても自由、動いたまま、経験したままを撮り、記事にして、まったくもう、スリルがあって楽しくてしようがなかった。という同じ時空を生きた仲だから聞きたかったことがある。今どんな気分なんだよ、って。

 合掌。