2015年10月9日

福島の日常




 「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」の同窓会に参加した折、郡山市内の幼稚園で開かれた写真教室の講師をつとめてきました。対象は若いおかあさんたち十数人。事前にお願いした課題の写真をみんなで鑑賞しながら感想や意見も交わしました。テーマは「家族の日常」。どの写真も、我が子を慈しむおかあさんのあったかなまなざしで捉えられていました。放射能汚染さえなければほかのどの町とも変わらない日常のシーンを見ながら、ちょっぴり複雑な気持ちにもなりました。

 折しも昨日、「福島の子供の甲状腺がん発症率は20〜50倍」という分析が公表されました。あれから4年と半年が過ぎ、福島の日常は昔と変わらないかのように営まれています。地域によっては除染土などを入れた黒い大きな袋が山と積まれる異様な風景が広がっていますが、人の暮らしはたとえ戦争にあっても営まれ、家族はより仲睦まじく生きていくしかありません。

 写真教室で伝えたかったことは、上手になるための技術的なアドバイスばかりではなく、撮る前にあるはずの、「見つめる」という態度でした。当然のように過ぎてゆく日常の風景でもよくよく見つめると、これまであまり意識に上らなかった発見とでも言えるような関係に気づけるかもしれません。大袈裟に言えば、親子の間柄に、人と人という関係を加えられないかと思ったわけです。

 写真に限らず絵画でも俳句でも、その道で表現するためには見つめることは欠かすことのできない大事な準備です。見えるものを相手にしながら、できることなら見えない何かに近づいてみたいのだと思います。

 我が子を愛おしむとは、どうすることなんでしょうか。よその子どもたちにまで目を配り思い遣るときそこに慈しみのカケラでもあるなら、見えないけれど大事な関係がすでに生まれているのかもしれません。子どもたちの心や未来は、見えないものの究極の大事です。そんな思いを抱いて撮ることができたら。おかあさんだからこそ、撮れるような気がします。










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