2015年3月9日

ゲート



 帰還困難区域と呼ばれる地区が出来てしまったというのに、時間の経過と共にさもそれが当然かのように聞き流されている気がしないでもない。ゲートの前に立つと、これは悪い冗談ではないのかと思ってしまう。この先には、線量が高いという長泥地区がある、ようだ。人が住めないとはどういうことなのか、なぜそんなことが起こっているのか。わーっと騒いだあと、日本人はなぜこんなに静かになれるのか。自分のこととしても、不思議に思う。里山もここまで深く分け入ると、静かな風景の中で己の内側にも気が向くようになる。

 里から車で10分ほども走っただろうか。ゲートの前に辿り着くと、警備の人がぽつんとひとり立っていた。こちらを発見するや丁寧に頭をさげ、Uターンを指示した。降りてゆっくりと近寄る。「写真を撮らせてください」。旗やなにやらを移動して場所を空けてくれた。真正面から一枚だけ撮り、あなたの姿も撮らせてほしいと頼んでみた。「それはできません」と即答するマスク越の小さな声が聞こえた。放射能で汚され立ち入りできない地域の前で、一日中立っているのだと言う。仕事とは言え、他人事とは言え、なんともやり切れない気持ちになった。この状況は尋常ではないだろう。この状況に深く起因している人々は、果たしてどんな気持ちを抱いているのだろう。不思議でならない。帰還困難区域を設け、何かを解決した気持ちにでもなっているのではないか。帰還困難区域を作ってしまったことに、だれもなんの責任も取らない、取れそうにない。










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