2014年11月24日

眠る人




 ゆいちゃんは、明日25歳の誕生日を迎える。その二日前だというのにプレゼントも持たずにのこのこ出かけ半日以上もお邪魔した。相変わらず気の利かないこの友を、ゆいちゃんはどう感じているだろう。福島の子どもたちとのキャンプを開くようになって以来の、数年ぶりの再会だった。とても美しい娘に成長していた。と言うより、美しく成長しているのをこの目と心で確かに感じられるようになっていた。これまでにも何度か会う度に撮って撮られるひとときを持ったけれど、なぜ撮るのか、撮ってどうするのかという己への疑念というような思いに苛まれていた気がする。撮るということの中に、どこか打算があるような気がしてならなかった。だからだろう、美しい姿にたじろぐばかりで心を全開することもできずにひたすらシャッターを押していたのだろう。

 美しい。ため息まじりにつぶやくと、鎮静剤で眠っていたゆいちゃんが一瞬目を開き天空を見つめた、ような気がした。答えてくれたのだ、と思った。おそらく見えないゆいちゃんにしか見えないものがあるのだろう。瞼を閉じていても見えている世界が存在しているにちがいない。子どもだとばかり思っていたのに、まるで神々しいばかりの女神のように感じられた。

 写真を撮るということは見える対象にレンズを向けるという単純な行為にはちがいないが、その時写真家が向き合おうとしているのは、対象が奥深い懐に湛えている澄んだ湖のような、鏡とも言える存在なのかも知れないと、先日井津建郎さんはじめ数人の写真家が集う場に参加して以来感じている。あえて撮る理由を上げるなら、その鏡に映り見せられる自分という存在を恥じらい、その場から消し去ってしまうことなのだ。少なくともこの凡夫にとってはそうなのだと確かに思える。

 ゆいちゃんはリー脳症という難病を患っている。2歳で発症し、余命幾ばくもないと診断されたそうだ。初めて会ったのは、15年ほども前になる。自宅を会場にホームコンサートが開かれ、演奏した和歌山の友人福井幹を介して知り合うことになった。友だちだと感じた第一印象は今でもはっきりと覚えている。障害や難病と共にある人に出会うといつも尻込みするのが常だったが、その時ばかりは不思議だが懐かしい再会という気持ちにさえなった。だがそれは表面ばかりを見ていたのに過ぎなかったことが、今ならよくわかる。何年もの間ゆいちゃんの姿を見ているようで、実は見ないようにしてきたようだ。撮ることはあっても、撮れないことを知っていたような気もする。

 ならばこれからは撮れるのか、本当にはわからない。ただこれまでになく心を開いて向き合っているのがわかった。おかあさんの真由美さんと話しながら、撮りながら抱えていた打算のような、もやもやとした薄汚れた衣を脱ぎ捨てているのを感じた。自分から発信するものなど何ひとつないこと、あるいはその場を共有するだけで互いに感じられる生の歓び、言葉にするとあまりに軽く陳腐になるばかりだが、撮りながら眠る人と共に見えないものに近づいているような気がしてならなかった。

















2014年11月16日



 この世でもっとも美しい瞳を持った友がいる。澄んだ湖の水底まで見透かせるような透明度を持っている。覗き込むと、濁った己の瞳が映り込んでハッとさせられる。年に一二度会いに行く程度で果たしてゆいちゃんは友と思ってくれているだろうか。これまで何度か撮る機会があり、その都度撮り続けたいと心の隅で感じていた、ゆいちゃんの瞳。ただ己が浄化されたいだけなのか、撮りたい気持ちの裏にあるものを掴めないまま、出会って十年以上も過ぎてしまった。けれど今、ようやく気づいた。友だから撮りたいのだ。

 先日井津建郎さんはじめ数人の写真家が集う場に参加する栄に浴し、写真家の何たるかを自分なりに感じることができた。写真を撮り写真で表現するとはどういうことだろうか。写真とは見える対象に向き合いながら見えない世界にまで手を伸ばそうとする、いわば旅そのものだ。我が身に置き換え考えてみた。何も遠くへと足を運ぶばかりが旅ではないのだと、今ならよくわかる。友の澄んだ魅惑の瞳に旅をするのだ。ゆいちゃんに会いに行こう。会いたい者が自ら動かなければ会えないゆいちゃんに。










2014年9月18日

写真が恐い




 長年撮り続けてきて思うことがある。一瞬が定着する写真の恐さというのか、写っている人のさりげない表情が映し出す心情まで感じられることだ。先日ご縁をいただいて撮った結婚式の、集う人たちにあふれている微笑ましい表情の数々はさすがに晴れのひとときを感じさせた。幸せを祝福する人の姿はまぶしい。母が娘に向けるまなざしからはぬくもりや優しさという心模様が表れている。おそらく意識はされていないのだろうが、撮っているとそれぞれの瞬間が表しているなにがしかのものを感じて、いい気持ちにもなり、あるいはその逆に恐くなることもある。福島の子どもたちとのキャンプ中に撮られた自分のさりげない瞬間の写真を見て、その無表情ぶりに愕然とすることがある。心が動いていない、感動する瞬間がないのだろうか。一枚の写真に己の今を突きつけられる。恐い。日常の時間は停まることがなく、見逃していることがいったいどれほどあることか。あれやこれやと気づかないまま、だから苛まれることもなく生きていられるのかもしれない。










2014年9月17日

岩よ





 中秋の名月の夜になると、いつも過ごしたいと思う場所がある。白山の峰だ。ことに翠ケ池を過ぎた辺りが気に入っている。最高峰の御前峰、噴火の凄まじさを思わせる剣ケ峰、柔かな懐を感じる大汝峰の三峰に囲まれて、おかしな話だがまるで眠るようにして彷徨い歩いた。いつにない夜更かしも手伝ってか次第に意識が遠のいて行く。金沢の町からもそう遠くない場所に、霊山がある。これも縁と言うのか、ふるさとに白山がある。

 冴え渡る十五夜の光が地上に降り注ぐ。ヘッドライトを消す。闇に漂うものがある。冷気か、それとも何ものかの気配か。闇夜と言うには月があまりに明るいけれど、だから一層陰が深くなる。見えないものさえ浮かび上がってくる気がした。どうやら怖じ気づいている。深夜の峰を望みながら、なんとひ弱な現代人か。

 岩岩が目に飛び込んできた。やや歩道を外れて立ちはだかるように転がっている様は何度も歩いて見慣れているはずだが、いつもの様子とまったくちがった。明らかに生きて存在している、としか思えなかった。噴火の際に飛び出し転がって来たのか、マグマが冷えて固まったのか、あるいは地上にせり出して来たのか、それらの由来を知らずとも、そこにあるのだからあるとしか感じていなかったものが、実は確かな存在感を放っていた。

 白山は一億年前は湖底にあったという。十万年前には標高三千メートルを越える古白山火山があり、三、四万年前に今の山頂部で白山火山が活動しはじめている。翠ヶ池は、1042年(長久3年)の噴火でできたそうだ(白山観光協会)。

 とにかく岩は生きながらえている。見える形あるものとして、あるいは内に凝縮する力に反発するようにして見えない気を解き放ってもいた。漂うのものの正体かもしれない。

 命とはいったい何者なのか。白山を歩くと、決まって命のことを考えている。生きていることが不思議でしようがない。その意味もわからず、やがて死が訪れることもまた不思議だ。今ここに存在しているのかさえ疑わしくなる。こうしてネット上に書き込んでいても、結局は何も残らないのだと思える。

 さえずりというほどでもなく小鳥が声をあげた。野生には昼も夜も、悩みもないのか。岩よ。泰然として存在するものよ。せめて何度でもあなたに会いに行こう。
















2014年4月27日

息子たちへの贈り物




 息子が野球をしていた中高時代のチームメイトらの関係は今もずっとつづいていて、年を追うごとに味わい深いものになっているようだ。「ますのさんにぜひ撮ってもらいたいんです」と、その一人が結婚の日の撮影を頼み込んできた。あの頃にも撮ってやった試合中の写真を気に入り、いつか結婚するならその時もまた、そう思い続けていたなどと言われれば断りようがない。「今どきの若い感覚を求められても撮れないからな」と前置きして引き受けた。

 それにしても、息子たちにとってのその友人関係は生涯の宝物になるのだろう。いつも兄弟以上に力を合わせている。このおやじの散々な人間関係に比べると、まるでこの世の奇跡だとさえ思う。人はひとりでは決して生きて行けない。支え合う友人を必要とする場面が数多くあるだろう。そして、だからこそひとりでも生きて行こうとする力も生まれるのだ、と思う。

 三年目を迎えた福島の子どもたちとのFKキャンプにテーマソングまで出来た。「ひとりじゃできないことも、みんなといっしょならできる」というような一節が度々出てくる。いつも子どもたちと一緒に楽しんで大声で歌っている。それはそれで大いに結構なのだが、歌いながら実は気になっていることがある。赤信号みんなで渡ればこわくない、などと揶揄するわけではない。人は所詮一人で生きるのだ。そのための支え合いなのだ。キャンプの子どもたちが成長してこのジジイとまだ向き合って話す機会が残されていたなら、そう断言して別れるつもりだ。放射能の被害を乗り越えて生きる力は、それぞれが自らの意思で獲得しなければならない。仲良しこよしもほどほどに、と時に息子を見て感じることがある。楽しく遊んで飲み明かし、それで己の足下を見つめる時間をないがしろにしては行けない、などというメッセージをアルバムに添えておきたいくらいだ。

 そのアルバムの手作りに当てる時間も気力も、もはや持ち合わせてはいない。フォトブックなどというネットを介したサービスにまるで一般書籍然とした商品を見つけ、少々高価だったが利用した。「ますのさん、まだ四人いますからね。ぼくたちも撮ってくださいよ」。あの頃からおどけた奴だったが、独り身を謳歌しているくせに、人なつっこく言ってきた。ああ、生きていたならな。息子たちへの最後の贈り物のつもりで。










2014年3月10日

雪の朝に思うこと



 
 三月、そろそろ春分を迎えるというのに、白を装ったとなり近所を散歩することが
できた。雪の風景は個人的には好ましいもののひとつだ。冷たい気に包まれていると
生まれる出る前の物静かな息吹きを感じる。今年は珍しくどこか新しい気持ちになっ
ている。意欲というほどのものなどもはや持ち合わせてはいないけれど、長年携わっ
てきた写真との、これまでなかった関係を持てるような気がしている。慣れ親しんだ
デジタルはめっきりその機会が減ったカメラマン稼業の道具として、あるいは日記の
ような日々のメモ代わりとして使いつづけるつもりだが、時間をかけて向き合いたい
ものには相応しくない。流れて忘れ去るものなどには興味が薄れるばかりの、この姑
息な現代の日常の中にも留めておきたい相手がいる。そして確かに出会っている。元
の鞘に戻ろう。そうでしか遺せない存在がある。